えちごせきかわ温泉郷(おんせんごう)
古くは米沢街道を行き交う人々が集う宿場町だった温泉地。平成の水100選や、新潟県の名水にも選ばれた清流・荒川に沿って、上流から鷹の巣、高瀬、雲母(きら)、湯沢の4温泉があり、また平成9年、「道の駅関川」内にオープンした桂の関温泉「ゆ~む」があります。他に地元集落の人が運営している共同浴場が3ケ所あり、宿泊、日帰り、公共浴場など、お好みに合わせて温泉を楽しめます。
関川村の歴史・文化
関川村は日本海側と内陸を結ぶ交通の要衝にあり、先史時代より荒川沿いに道ができて発達してきました。今から約500年前、米沢の戦国大名、伊達種宗(たねむね)が羽越国境の大里(おおり)峠を開き、そこにつながる道が次々と整備され、十三峠ができました。新発田または村上の城下町を起点にこの十三峠を越え米沢城下町に至る街道は米沢街道と呼ばれ、その宿駅として、また荒川舟運の拠点として盛えたのが関川村の下関・上関です。その中心地には国指定重要文化財「渡邉邸」と「佐藤邸」、県指定文化財「津野邸」、村指定重要文化財「東桂苑」と四つの豪壮な建物が並び、江戸~明治期の街道の風情を今に伝えるこの街並みは平成19年「美しい日本の歴史的風土100選」に選ばれました。
渡邉邸(国指定重要文化財)
米沢街道における豪商・豪農・大庄屋の屋敷。昭和29年(1954)には国の重要文化財に指定されました。広さ3,000坪の敷地に木羽葺石置屋根の母屋、6つの土蔵、国指定名勝の庭園があります。
東桂苑(村指定文化財)
明治38年(1905)に、当時の建築技術の粋を集め渡邉家の分家として建てられました。木造2階建て入母屋造りの堂々としたたたずまいが印象的です。純和風の風情ある庭園との調和も楽しめます。
津野邸 (県指定文化財)
渡邉邸に隣接する県指定文化財津野邸は、現在の姿になるまでたびたび改造の手が加えられましたが、商家構造の建造物として極めて貴重な存在です。(非公開)
佐藤邸 (国指定重要文化財)
明和2年(1765年)の建築。渡邉邸とともに18世紀の町並みを形づくっています。茅葺屋根の豪壮な屋敷の雰囲気が庄屋の面影を伝えています。平成3年には国の重要文化財の指定を受けました。(非公開)
関川村の歌碑・史跡
関川村にある歌碑・史跡は、昔から伝え守られてきた大切な財産です。
一つひとつに刻まれた歌を深く味わいながら歌碑をめぐると、先人の関川村に対する思いが伝わります。また、そこで展開されたドラマを思い描くと、心が豊かになっていくようです。関川村の歌碑・歴史は、文化とロマンの旅へ私たちをいざないます。
位置図
歌碑・史跡紹介
- 渡辺愛桂句碑
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風かおる 桂の関のいまむかし
愛桂
本名は渡辺慶太郎。
愛桂は、東京帝京大学医学部を卒業後、村上市で病院を開業し、名医として人々に親しまれ信頼を集めました。
昭和6年に建てられた立派な石碑は、格調高い句にふさわしく、いしぶみ愛好家にとって貴重な存在となっています。
- 渡辺海笛歌碑
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往来の 幾代の幸を 祈りきて
古城が丘に 久遠の架橋
海笛
本名は渡辺陸之助。
昭和46年8月に建てられました。
- 生田蝶介歌碑
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あら川の はてもなく山を 燃えつづく
鷹の巣の紅葉の 饗宴を見き
蝶介
日本歌人クラブ名誉会員。
昭和40年6月6日、門下有志が生田蝶介の喜寿を祝い、鷹の巣温泉にある鷹の巣館主人の協力により建てられました。
この碑は同旅館の前にあり、表面の歌は生田蝶介の自筆です。
- 土沢のぼう示石
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ぼう示とは、領土などの境目に立てた杭や札などのこと。
鎌倉時代、荒河保は奥山荘と境界周辺の所領をめぐって論争を何度も起こしていました。
しかし、正応5年(1292)7月18日に和解が成立し、文書を交換の後、要所にはぼう示石がすえつけられました。
これは、そのうちの一つで、昭和53年4月28日に村の文化財に指定されています。
- 石塚友二句碑
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前山の 涼しき影を 水の上
友二
新潟県出身の俳人協会名誉会員。
この句は、昭和53年7月大石ダム完成記念の際、関川村への招待を受けた石塚友二が現地で詠んだものです。
句碑の表には石塚友二自身の書が、裏には大石ダム建立の経緯が刻まれています。
- 桂の五輪塔群
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慈覚大師は、貞観3年(861)薬師岳開峰の際、桂地内で護摩を焚き煩悩をはらったといわれています。
この地に供養塔が建てられました。
また、荒河保の地頭職であった河村氏は、後鳥羽院が隠岐の島で崩御されたことを聞き、供養塔を建てました。
昭和52年4月28日に村の文化財に指定された桂の五輪塔群は、慈覚大師供養塔1基、後鳥羽院供養塔1基、河村一族の墓標2基から成っています。
- 関鉄之介潜匿記念の碑
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万延元年(1860)3月、江戸幕府の大老井伊直弼が桜田門外で水戸浪士ら18人に討たれました。
有名な桜田門外の変です。
その総指揮をとったのが、関鉄之介でした。
事件後、関鉄之介は追っ手をのがれ、あちこちに隠れていましたが、文久元年(1861)10月23日、湯沢温泉田屋に滞在中、ついに密偵の手により捕まりました。
- さくらの碑
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あらかわの四方の山並み美わしく
桜花らんまん 清き水辺に
荒川に造成した桜つつみが、国土交通省北陸地方建設局管内の「桜づつみモデル事業」で第1号の認定を受けたことを記念して、平成元年に建てられた碑です。
- 相馬御風歌碑
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現身は 花とちりつゆと きゆるとも
たまは生きなん あめつちとともに
御風
昭和10年に建てられた歌碑。
湯沢松岳寺の住職故高橋祖舟が、相馬御風と親しかったため、特にお願いして詠んでいただいた歌です。
この碑は湯沢松岳寺裏の観音公園にあります。
- 波走五輪層塔
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小和田字波走にある石塔。
ここは、平安時代に平家の一門城氏の開拓した地と伝えられ、城氏の墓と考えられています。
昭和53年12月14日、村の文化財に指定。
- 琵琶法師の碑
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琵琶法師 本名は蔵の市ともいわれる
大蛇伝説「大里峠」によれば
蔵の市は米沢街道大里峠の山中で
夜更けに琵琶を奏でていた
そこに現れた 大蛇に変身させられた女「おりの」から
関郷を水没させる恐ろしい企みを打ち明けられた
蔵の市は これを村人に急報して村を救った
他言はならぬという大蛇との約束を破ったかどで
消されてしまい 琵琶 笠 杖だけが遺されていたという
- 桂の関由来碑
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この地は出羽国内陸部に通じる交通の要衝で
かつて盤舟柵の前進基地が設けられ 桂の関はその後
奥山荘成立のころ設置されたという 鎌倉時代のはじめ
幕府は筑後の国 三潴左衛門尉を関史に任命
三潴左衛門尉は遠路この地に往来して
関の業務に従事したと伝えられる