自然・公園

米沢街道

米沢街道の歴史と概要

「越後米沢街道」は、山形県置賜地域と新潟県下越地域を結ぶ約70kmの街道で、13の峠があることから「十三峠」と呼ばれています。十三峠は1521年(大永元年)に伊達14代の種宗(たねむね)により羽越国境の大里峠が開かれたのが始まりで、江戸時代にかけて順次整備されました。

この街道を通って米沢方面に運ばれる荷物を「上り荷」といい、塩、鉄、魚、お茶などが運ばれ、越後への「下り荷」は小国蔵米、織物の原料・青麻(あおそ)・煙草・漆・蝋燭などが運ばれました。

1996年黒沢峠、大里峠、鷹の巣峠が「歴史の道百選」に、2008年「越後米沢街道・十三峠」が日本風景街道に登録されました。

明治時代 米沢街道十三峠を旅した英国の女性旅行作家 イザベラ・バード

旅行記「日本奥地紀行」の著者イザベラ・バードは、明治初頭、横浜から函館まで東北地方の旅の途中、十三峠を歩きました。バードは明治11年(1878年)7月11日新潟県関川村沼、7月12日小国町市野々(いちのの)、7月13日川西町小松に宿泊しました。十三峠の山中では「大きな山岳地帯に難儀したこと」が記されるとともに、米沢平野を「東洋のアルカディア」と称したことが有名です。

十三峠

鷹の巣峠-榎峠-大里峠-萱野峠-朴ノ木峠-高鼻峠-貝淵峠-黒沢峠-桜峠-才ノ頭峠-大久保峠-宇津峠-諏訪峠

鷹の巣峠

令和4年8月豪雨の被害で通行困難になっています。

越後米沢街道には、関川村から米沢まで十三の峠があり、鷹ノ巣峠は越後側からの第1峠になります。「歴史の道100選」にも選ばれています。下川口集落の外れに「旧米沢街道 峠の入口」という標識があり、そこから300mほど登ると熊坂と呼ばれる標高155mの頂点があり、切通しが往時の面影を色濃く残しています。

峠を越えた大内渕集落には、旧街道時代、番所が置かれていました。

標高155m
距離1,960m
アクセス新潟側:関川村下川口、米坂街道道標あり、駐車場なし
山形側:関川村大内渕、駐車場なし

榎峠

令和4年8月豪雨の被害で通行困難になっています。

十三峠の越後側第2の峠です。標高187mの峠は大きな切通しとなっていて、江戸時代後期1800年代に十三峠の道を大改修した跡が偲ばれます。また、明治維新時の戊辰戦争では、米沢藩がこの峠に陣地を築き攻め寄せる新政府軍と激戦を展開しました。峠を越えた麓近くに、戦死者を慰霊する石碑が林内にひっそりと建っています。

標高187m
距離1,900m
アクセス新潟側:関川村大内渕、駐車場なし
山形側:関川村沼、駐車場なし

大里峠

令和4年8月豪雨の被害で通行困難になっています。

十三峠の越後側第3の峠で、「歴史の道100選」に選ばれています。山形県と新潟県の県境にあり、1521年に米沢の領主伊達稙宗によって開かれました。

標高487mで、十三峠の中では宇津峠に次ぐ第2位の高さですが、登り口からの標高差では宇津峠を上回り、街道最大の難所とされていました。そのため、麓の沼集落に宿屋があり、明治11年にはイギリス人の女性旅行作家イザベラ・バードも泊まっています。また、江戸時代には越後の名僧良寛が大里峠を越え、山形県玉川の玉泉寺で「玉川に泊す」と題して漢詩を読んでいます。

戊辰戦争で榎峠を撤退した米沢軍がこの峠で抗戦体制を敷いた時、関川村上関の渡邉利左エ門が講和の仲立ちをして両軍和平に至ったことが記録されています。

<大蛇伝説『大里峠』>

昔、関川村の蛇喰(じゃばみ)に、炭焼きをしている「忠蔵(ちゅうぞう)」・「おりの」夫婦と娘の「波(なみ)」が住んでいました。ある日、忠蔵は山で襲ってきた大蛇を殺し、切り刻んで持ち帰り、樽にいれて味噌漬けにします。忠蔵は樽の中を見てはいけないと言明しますが、おりのは忠蔵の留守にそれを全部食べてしまいます。おりのは喉が渇き川の水を飲みますが、水面に写った自分の顔が蛇になっているのに驚きます。夫の言いつけを破ったことを詫びながら、おりのは上流へと逃げ失せてしまいます。

時が過ぎ、秋遅く盲目の法師「蔵市(くらのいち)」は米沢街道を通り故郷へ帰る途中に大里峠で夜になります。祠の前で休み琵琶を弾いていると、女人が現れ再度曲を所望します。女は大蛇に化身されたおりので、蔵市に身の上話をします。大蛇の体は大きくなり、ここでは狭くなったので、荒川の下流をせきとめ、村を大湖にして住む企みを打ち明けます。他言すれば命はないと告げて女は消え去ります。蔵市は、夜道を急いで下山して下関の大庄屋「渡邉三左衛門」に急を告げ、「大蛇は鉄が嫌いと明かした」と言い、琵琶と杖だけを残して絶命します。庄屋たちは村中の鉄を集めて釘をつくり、大里峠で大蛇に打ちこみます。大蛇は七日七夜苦しみ続けて退治され、村は救われました。下関の大蔵神社には、法師蔵市が遺した琵琶と杖が祀られています。(大里峠伝説の言い伝えの一つ、編:平田大六)

標高487m
距離4,600m
アクセス新潟側:関川村畑、駐車場なし
    山形側:山形県小国町玉川
駐車場県道260号沿い玉川コミュニティセンター